「読む」技術 速読・精読・味読の力をつける (光文社新書) | |
石黒 圭 光文社 2010-03-18 売り上げランキング : 60484 Amazonで詳しく見るby G-Tools |
識字率100%に近いこの日本において、メールやブログが普及したこの時代、きっと人類史上初めてと言っていいほどに国民総「書き手」という異常事態に今の日本は、ある。国家はこの異常事態に対して、非常事態宣言を発令、一文字毎に対して、5%の消費税ならぬ「消 字 税」が加算することにした・・・。という冗談も通りそうな、それほどに文字との距離が近くなっている時代に我々は、いる。
そういった状況にありながら、学校教育という現場では、アウトプットに対する教育というのは、ほとんど、というか、まったくといっていいほどに充実しておらず、他人のメールやブログを見ても、(そして私のブログがその筆頭かもしれないが)面白くない、圧倒的に面白くない。
書くこともそして、人前に立って話すことも、あるいは、そもそも自分の考えを形にすることもまず出来ないのが日本の国民性である。まさに「察しと思いやり」の国民性であり、だからこそ自分の考えを伝えず、相手が何を考えているのか、そもそも、分からない。ホントとのところ、日本人は、相手が何を考えているのかということは、想像しているだけなのだ。
そんな時代だからこそ、「書く」前に、「読む」力をつけよう、相手の考えを正しく受け取ろうという主張はありだろうか。何を考えているのか分からない国民性であれば、こっちはマシンガンのようにシャベリまくった方がいいようにも思うのだが。
とかく何より難しいのは、具体的、実体のあるものの説明文を正しく受け取る「読む」という技術ではなく、人の悪意を見抜く心を「読む」という技術かもしれない。しゃべらない日本人とて腹には悪意を溜め込んでいるのだから。
私のサイトとて、何かためになることを伝える、という善意以上に言いたいことをいいたいだけという悪意、アフィリエイトで小銭を稼ぎたいという悪意で満ちているのだから。
そんなバレバレの悪意など、悪意と呼べないかもしれないが、人の真意を読み取ることは、色々な可能性を考えると特定することは、意外と難しいものだ。
善意にしか見えず、悪意の仕組みがまったく見えないものほど、もっとも最高の悪意、作為だとするならば、何も信じられないというジレンマに陥ってしまう。善意を正しく伝えるためには、多少の悪意を見せておくのが正しい作法であり、そんな悪意に出会ったら、気付かないフリをして、騙されてみるというのも、大人の嗜みなのである。
AP0480
- 関連記事
-
- 【人間心理】 小銭で心理は暴かれる。 (2012/01/31)
- 【読む力】 ここでいったんまとめておこう。 (2012/01/28)
- 【文章術】 しちゃダメ地雷を踏みっぱなし。 (2012/01/03)
スポンサーサイト