ビジネスと、健康に役立つブログです。
本から得られる3つの経験

 このブログは、ビジネス、健康、人生に役立つ本を
 紹介しています。どんな本にも3つの秘密があるばす!

 2012年、今年のテーマは、アウトプットを増やす事!
読書も大切ですが、アウトプットがあっての、インプットです!
自分から働きかけて、外に表現の場を見つけていきたいと思います。
いつもここからが、スタートですよ~!

読書
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スプートニクの落とし子たち
スプートニクの落とし子たち
スプートニクの落とし子たち

 『スプートニクの落とし子たち』

 作者は東京大学工学部卒、現在は、中央大学の教授である
 今野浩氏だ。

 本書の題名から、ロシアの宇宙計画にまつわるものかと思っていたが、
 読んでみると、東大工学部のその後に関する、ノンフィクションだった
 ので驚いた。

 1960年代当時のエリート中のエリートがこぞって理系に入ったのは、
 ロシアのスプートニクがアメリカに先んじて、ロケット開発に成功した
 ためであり、筆者は、そのことをエリート達が世に活躍できなかった
 悪因だと総評しているようにも感じられた。

 エリート達の会話がまったくもってすごい、あまりに別世界なので 
 垣間見れただけでも価値ある一冊といえるだろう。

 だが、就職する段になって、理系では会社のトップになれないと
 早くも諦めムードだ。海外に出て、MBAを取得し、文系への転職を
 計る者もいたりする。
 
 本書の主役である後藤氏も理系から、金融工学に転職し、一生分を
 荒稼ぎして、その職を退職した後、無理と思われた教授の席を奪取
 したものの、最後は前半生とは対照的に打ち捨てられるような最後を
 遂げる。

 なんだか、半分は、作者のやっかみ見たいで、足の引っ張り合いと
 まではいかないが、見下す感じがしないでもない。どこまでいっても
 順位付け、点数付けから抜けられない感じがする。
 多様性というものの評価がまったくない。

 ベスト ブライテストと自ら呼べるほどに、彼らは、東大に入学する
 ために、一日14時間も猛勉強するのだから、どこまでいっても
 競争し、誰々がどうなったと比較せざるを得ないのかもしれない。

 彼らが、研究室で血眼になったおかげで、技術大国日本の基礎が
 作られたことに間違いないのだが、二流三流の人間が高級官僚や、
 政治家になって、日本を牛耳ったというあたりは、やっかみ半分と
 いったところか。

 人生とは、このような天才達にして、思い通りにいかないものであり、
 私のような凡人は、「人のいく裏に道あり、花の山」を念仏のように
 唱えながら、競争しないですむようなニッチで戦うのがベストと
 あらためて痛感した一冊である。

 人生って、セレンディピティなんだよな~。

 WIKIから抜粋
 セレンディピティ(英: serendipity)は、何かを探しているときに、
 探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す
 言葉である。
 何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」
 を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、
 幸運を掴み取る能力のことである。


                 AP0517
 






  

スポンサーサイト
発酵食品の魔法の力
発酵食品の魔法の力 (PHP新書 670)
発酵食品の魔法の力 (PHP新書 670)

『発酵食品の魔法の力』

 本書は、4名の作者の短編集だ。
 テーマは、発酵食品とその効能。

 編者は、東京農業大学名誉教授の、小泉武夫氏と、
 国立民族学博物館名誉教授の石毛直道氏。


 くさや、塩辛、私の近所では和歌山のさぱの馴れずし。
 これらの食べ物が、魚介類の発酵食品とは。どこか怪しげで、
 非科学的な、身体に悪そうというイメージだったものが、
 本書を通じて、イメージが大逆転!
 白いご飯といっしょに食べたいと、いよいよ食欲がそそられる
 から不思議である。

 東南アジアと日本では、よく似た発酵食品を食べていた
 経緯があり、かつての中国でも食べられていた記録があるのに、
 今の中国ではその連なりが切れてしまい、食べられてはいない。
 
 古代中国は、アジアそのものだったが、共産党時代に
 突入して、文化的には、アジアではなくなっているのかも
 しれない。
 仏教発祥の地、インドが今ではヒンズー教が中心になっている
 ように、あるいは、ヨーロッパがローマ人に支配されていないのと
 同じように、今の中国はかつての中国ではないのかもしれないと、
 発酵食品ひとつで、想像が広がっていく。

 世界一硬い鰹節も発酵食品だが、かびが繁殖していくことで、
 うまみ成分が増すというのは、不思議で仕方がない。
 ミツバチが蜜を集めるのと似ているのかもしれない。

 私は牛乳を飲むと、すぐにギュルギュル鳴り出すし、最悪の
 場合は、下してしまうこともある。
 だが、ヨーグルトはいくら食べてもそんなことにはならない。
 その間で仲介しているのは、乳酸菌であり、発酵作用だ。
 乳酸菌が発酵することで、牛乳の成分を分解し、私の
 身体が耐えられるものに変えてくれているわけだ。

 いつも思うのは、この発酵食品が身体にいいものか、
 悪いものか、知らない人類の中で、最初に口にした人は、
 どんな思いだったのかという疑問である。
 よほどに餓えていたのか。他の動物が食べているのを見て
 自分も大丈夫だと考えたのか。
 実に勇気のある行動である。

 もう一つ不思議なのは、何万種類もある、微生物が、
 どうして分類できるのかという不思議である。
 乳酸菌にしろ、納豆菌にしろ、他の細菌が繁殖しないのは、
 ものすごく、奇跡のような出会いではないかと、
 いつも感心してしまう。
 
 ふぐの卵巣の猛毒すら分解する、発酵。

 何人かが殉職し、ようやく食べることができるようになった
 に違いないのだが、
 人類の文化の一部にしてしまった、その功績と勇気に、拍手!
 したいと思う。


           AP0516




 
ルポ 電子書籍大国アメリカ (アスキー新書)
ルポ 電子書籍大国アメリカ (アスキー新書)
ルポ 電子書籍大国アメリカ (アスキー新書)

『ルポ 電子書籍大国アメリカ』

 日本とアメリカの出版業界を行き来している、大原ケイさんの
 ルポである。出版業界の厳しさや作家の盛衰なんかもおりまぜ
 ながら、電子書籍の今を紐解く。

 最近、何かと話題の電子書籍。
 読み手として、あるいは、売り手としてどう扱うべきなのか、
 悩ましい問題である。

 アメリカでは、本は永続性があってこそ、日本では、人に言わ
 せれば、雑誌なんかよりも刹那で一瞬のものが「本」なのだ
 そうだ。
 
 読んだらおしまい、といった形態の方が電子書籍に向いている
 ので、そういった意味からみても、日本の方が電子書籍が普及
 してもおかしくないのかもしれない。
 
 アメリカの、多様性を受け入れる文化が、紙の本があっても
 いいし、電子書籍があってもいいという形で、普及が進んでいる
 ようだ。

 かたや私は、電子書籍で本を買わない。
 手に持った重さや質感がどうしても必要だし、線も引きたいし、
 速読するには、紙の方がやりやすい(と思われる)。
 
 ちょっとした収集癖も私にはあるかもしれない、これだけ分厚い本を
 よんだぜぇ、という達成感も必要だ。
 そういう意味で、何かの形になっていないとお金を払う価値も見えて
 こない。

 ネットの有料化にはのっかってないので
 (日経新聞の有料会員にもなっていない)、
 電子書籍のことをどうこう言えた義理でもないのだが。

 読書体験が大好きな、読む側からの意見としては、本を前にして
 強く思うのは、絶対的に読む時間がたりない、ということだ。
 時に早く隠居したいとすら思ってしまうほどである。

 ローマ時代の美食家は、食べたものを吐き出して次の食事を口にした
 というが、読書が好きな人にとっては、時間をどう工面するか、
 面白くても、途中でどんどん読み捨てて、次へ次へといくしかないのが、
 とても辛いところだ。

 かつて、パソコンが普及したときのインパクトは、電子書籍にはない
 のかもしれない。電子書籍を手にすることで、本を読む時間が
 半分になるとか、記憶に定着しやすいとかの、効能が今ひとつ伝わって
 こないからだ。
 
 残念ながら、そんなことは起こるはずもなく、紙が電子に置き換わる
 優位性は、木を切らずにすむという、自然へのやさしいということ
 くらいかと思う。
 (いらない雑誌をしばって捨てる必要がないというだけでも有難い)

 かさばらない、だから電子書籍はいいというのもあるが、反面、
 電子書籍は一瞬で消去される恐怖もあるし、電池も必要だし、そもそも
 本を何千冊も持ち出せることに、なんのメリットがあるというのか。
 まったく一長一短である。

 読書体験というところに、何か付加価値がないと、普及はまだまだ
 難しいようにも感じる。
 目の動きを感知して(あるいは読書スピードにあわせて)、
 文字がどんどん流れて読む人はすごく楽? とか、
 早く読めるとかの付加価値があると全然ちがうのだけれど。
 挿絵が動画になっているとか、あまり意味を感じない。

 図書館にある本をアーカイブにしていつでも読める試みというのも
 電子書籍ならでは発想だ。失われる情報が、息を吹き返すことには、
 異議を唱えないし、是非そうあってほしいと思うのだが、如何せん、
 いつそれを読む時間ができるのだろうかという、悩ましい
 問題に直面する。

 世の中にはかくも、このように面白い本がたくさんあるというのに!
 ああ、辛い!

 電子書籍端末が、自然にやさしいのかも良く分からないままに、
 少なくとも、紙の本をせっせとめくり、電子媒体のブログにコメントを
 つづる生活は私にとっては楽しいことである。


           AP0515





 
夜桜四重奏~ヨザクラカルテット~(1)
夜桜四重奏~ヨザクラカルテット~(1) (シリウスコミックス)
夜桜四重奏~ヨザクラカルテット~(1) (シリウスコミックス)

『夜桜四重奏~ヨザクラカルテット~(1)』

 イラストレーター、ヤスダスズヒトさんのマンガである。
 何か引かれるイラストにねその理由が知りたくて、買ってみた。
 最近では、「デビルサバイバー」というDSゲームのイラストが
 かわいい。

 女の子の胸元、あくまでパンチラしない短いスカートから、ハイソックス
 の、いわゆる絶対領域の使い方がうまい。
 目の書き方にも特長があるのかも。こっちがプロではないので、
 全体の印象としかいえないが、シャープな漢字を受ける。
 
 しがらみが無い、傷がない、純白とは違う、深みが無い、
 関係性が希薄、といった言葉が思い浮かぶ。

 中身はマンガなので、ラフな書き方になっているとも思うが、
 作者の絵がうまく、一瞬のキラキラをうまく捉えていて、
 いろんな角度、状況に応じた表情が見れて、
 それはそれで良いと思う。

 帯のツンツン・・・、は意味不明、音楽性は皆無。

 画集も出ているので、購入を検討したい。

 表紙を見て可愛いと思える人、可愛い画像なんか
 集めている人には、是非お勧め。
 

         AP0514



へうげもの 15服
へうげもの(15) (モーニング KC)
へうげもの(15) (モーニング KC)

 『へうげもの(15)』

 関が原の決戦でついに石田三成が敗北。徳川千年帝国への家康最後の
 布陣、総仕上げの始まりでもある。

 徳川家康ほどの人物が、これほどに慎重に行動し、準備を整え、
 中国出兵も断ってまで蓄積した財と兵力をもってしても、
 どっちに転ぶか分からない大戦に、われらが数寄者たちも
 三々五々に東に、西に布陣して戦い、一方は勝ち、一方は
 散り散りなるという憂き目を見る。

 人物の石田三成が兄、正澄のすがすがしい最後と対象的に
 後悔ばかりが去来する三成の最後は、野太い輪郭が特長の
 この作品の中で、その表情が印象的に際立っていて面白い。

 豊臣家の行く末を正澄は、こともあろうに、御茶頭、古織に託すも
 彼はそれを付き返す。秀吉に可愛がられた彼であっても心中するなど
 考えたりはしない。なぜなら、まだ見ぬ名器が彼を待っているからだ。
 欲無き人生などありえないのだ。

 人の道を踏み外したのかもしれないが、それほどまでにのめり込める
 人生こそが乙 なのである。

 「その場その場で己が都合の良い方に付けば良いのだ」悪びれずに言う
 古織とは、なんとも、執着していて、これはこれで、すがすがしい。

 散っても花、散らずも花。かわいそうなのは、三成一人なのか。
 彼は楽しみを知らずに死んでしまったのかも知れない。
 何度となく、楽しみにめぐり合いながらも、狭き心がそれを
 受け入れなかったのだろうか。それが惨めな後悔へと繋がっていく。

 古織の数寄の道は、どうなっていくのか、人と人との交わりが
 ますます複雑な着地点を導き出す。
 どう、すがすがしい一服となるのか、楽しみが続く。



               AP0513




水木サンの幸福論
水木サンの幸福論 (角川文庫)
水木サンの幸福論 (角川文庫)

 『水木サンの幸福論』

 ゲゲゲの鬼太郎原作者の水木しげるさんの自伝、
 及び、幸福になる7か条が詰まった1冊である。

 第二次大戦で、激戦地ラバウルで戦い、片腕を失う重傷を負い、
 日本に帰ってきてもなかなか定職につけず、フラフラしながら、
 ようやく、マンガを描く生活に没頭しても貧困生活、
 結婚と子供の育児など、生活はますます厳しくなるばかり。

 傍から見る分には、なんとも惨めな生活だなあと思って
 しまうものなのだが、本人はいたって一生懸命で、深く悩んで
 しまうこともなく、かといって、無感覚なバカということでも
 決してない。必死で弾薬から逃げるさなかにも、どこかのんびり
 しているような、どこか自分を達観して見下ろしているような
 距離感があったりと、不器用な自分を十分に受け入れて、
 出来る範囲で、出来ることをしようという水木さんの考えが
 よくわかる一冊である。

 今の時代と正反対で、なんでもそこそこできる器用さが無い分、
 コツコツ続けることが出来たのかという思いと、辛いことも
 何かしら楽しみを見出してしまう水木さんのおかしさが
 見えてくる。

 それは、運命というものに抗う力のない、人間の限界を
 すばやく見極めていながら、折角の命なんだから、どんなときも
 楽しんでやれ、という、地獄みたさの好奇心なのかもしれない。

 水木サン 幸福の7か条
 1.成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
 2.しないではいられないことをし続けなさい。
 3.他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
 4.好きの力を信じる。
 5.才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
 6.なまけ者になりなさい。
 7.目に見えない世界を信じる。

 水木さんの幸福論には、無我夢中に没頭することの必要性が
 語られているように感じられる。ひたすらにマンガを描く。
 それ以外に出来ることもないし、表現の方法がない。ならば
 黙って続けるだけなのだという・・・。

 水木さんは、自分がたまたま成功したに過ぎず、
 いつ生活できなくなってもおかしくないと考えていた、
 というよりも、生活することにゴールを設定していないようでも
 ある。不器用な生き方であり、死に方なのかもしれない。
 そんなことができるのも、戦場で死を間近に感じたことが、
 長生きよりも、自分の楽しさを表現できる世界に打ち込むことが
 重要だと気付かせたのかもしれない。

 自分の作品に、自分が没頭できるからこそ、他人さまも引き付けられる
 だけの魅力が、鬼太郎達に命を吹き込んだのだろう。

 今の日本は、いい学校に入って、いい会社に入って、家族を持って
 年金もらって・・・という構成が、レールのようになっていて、
 誰もがそこから踏み外さないことに汲々としている、
 そして何人かは転げ落ちているような時代なだけに、
 オリジナリティで戦ってきた生き方というのは、参考になるという
 か、可能性や生き方の幅、社会の豊かさ、多様性といった意味でも
 価値のある人生だと思う。

 新しいビジネス書としての観点からも、メンタルを補強するための
 自己啓発としても、世に残る魅力的な作品を生み出す作家の自伝という
 意味からも一読して損はしない一冊である。


 
                      AP0512



空中庭園
空中庭園 (文春文庫)
空中庭園 (文春文庫)



 マイブームの、角田光代さんの小説です。

 マンション住まいの4人家族とプラス2名、合計6名による、それぞれの視点で描かれた、「家族」の物語である。一見、どこにでもある家族構成、一家団欒といった赴きながら、家族の中ではウソは付かないというルールに逆行して、それぞれが、どんよりとした黒い秘密を持っているという話。それぞれの闇の暗さにギョッとしながら、読み薦めていくと、なるほど、こういうカラクリなのねと、登場人物と、読者のトラウマの共感の中で、なんだか、ユーモラス、滑稽にも感じられる。状況は何一つ改善しないんだけれど、読者のトラウマを見事に汲み取り、登場人物と「恥」を共感したような第三者の視点で見せることで、なんだか、ちっぽけな問題なんだ、ということを思わされて、救いのようにも感じられた。

 作者の角田さんをナショナルグラフィックのサイトで、少し知った。前から少し気になってはいたけれど、ナカナカの変わり者である。女一人で、発展途上の国をあてもなくブラブラするかと思いきや、旅が怖いとおっしゃる。度胸があるやらないやら、なんだか興味が出てきての一冊だ。次は「対岸の彼女」あたりを読んでみたいところ。

 本作ではいがいとエロというか、性の描写があって、作者の雰囲気とのギャップにもびっくりした。創造された小説だからこそ、作家との落差も読みどころに入るのかもしれない。作者の本性と作品と落差。
 本作のターゲットがどのあたりにあるのか、女性層でもこういった内容で受けるのか、マーケティング的なことも気になる。

               AP510



幸せな小国オランダの智慧
幸せな小国オランダの智慧 (PHP新書)
幸せな小国オランダの智慧 (PHP新書)


 オランダと日本の関わりは、徳川家康と、難破した三浦按針ことウィリアムアダムスの時代にまでさかのぼる。通商は400年の意外と長く、知られていないがカナリの友好国である。鎖国時代も出島を中心とした国交のある特別な国だったわけだ。

 本書はいつの時代も日本の先をいっている国、オランダから、いろんなことを学びましょうよ、という一冊である。

 面白いのは、オランダから見た日本、日本からオランダという視点で、いろんなことがわかるところだと思う。今でこそ、鎖国鎖国と、如何にも他国との取引を停止したかのような印象だが、徳川幕府としては、取引を停止したわけではなく、出島とい入国管理局を決めて、検閲していたにすぎなかったのだ。鎖国という言葉も明治政府が開国を目指して、徳川幕府を悪く言うのに利用されたみたいで、なるほど~と妙に納得した。イギリスやスペイン、ポルトガルという国は、キリスト教とのパッケージで商売しようとしたことが、日本人の気質とあわなかったわけだが、オランダだけが商売は商売と、キリスト教を売り込まず、日本の信仰を尊重したからかもしれない。当時としては、キリスト教布教を優先しないのは、先進的な考えによるものだったに違いない。

 オランダといえば、ゴッホやフェルメールという画家が有名だが、印象派、光の画家と、新たな技法を積極的に賞賛した芸術にも目が利く国民性である。
 本ブログでもこの画家を扱っていながら、オランダ出身だということに、意識しておらず、ホント、申し訳ない、というか、イッペンにオランダのことが好きになってしまった。

 オランダに旅行に行くというと、薬でも吸いに行くのかということを日本人はツイツイ言いたくもなるが、それはオランダのことを単に知らないという裏返しでもある。ヨーロッパ人が日本には未だにチョンマゲ、芸者、ハラキリしかないと思っているのと同義である。

 オランダが如何に面白い国か、日本以上に優れている国かということは、本書にお任せするとして、九州と同程度の面積と少し多い程度の人口でありながら、一人当たりのGDPや個人個人が感じている幸福感が群を抜いて順位が高いことを知れば、無視するにはもったいない! と思っていただけるのではないだろうか。

 オランダといえば風車だが、風車を使って、海抜0m以下の土地から水をくみ上げて、排水をするために使われていて、自然と日々闘っている点では、日本と似て、日本以上に進んでいる国でもある。洪水なんかの災害も何度か経験していて、それが今では逆手に取って災害対策のシュミレーションソフトが、アメリカで数百億ドルで取引されたなんて話など、ちょっと日本では考えられない逞しさである。
 予断だが、堤防に穴が空いて、手を突っ込んで国を救った少年の話は、実話ではないそうだが、銅像があるのだという。なんだか変わっているよね。

 技術大国日本とうつつを抜かしている間に、とんでもなく、ソフト面で出遅れていることが分かった感じがして、がっかりしたやら、なにくそ~という気にもあるわけです、日本人としては。

 オランダサッカーやら、サイクリング王国やら、ケチやらなんやらで、なんだか関西人みたいな、大阪人と京都人を足したようなこの国民性に一気に親近感を感じました。ホントはオランダの教育状況を学びたかったんですけど、幅が広い国でびっくりしました。

 う~ん、行ってみたい。





                             AP509


Copyright © 2017 Book experience, 3 reasons.. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。